半世紀前、私が高校生の頃。微分、積分など高等数学はなんのためにあるのだろうと多くの高校生は疑問を持っていた。というのも、多くの人は社会に出てから高等数学を扱う機会はなかった。銀行で働く人たちでさえ、そろばんで四則演算(足す、引く、掛ける、割る)ができれば採用された(当時ソロバン三級が銀行就職最低必要ラインと言われた)。高校の数II、数IIIというのは、学生の頭の良し悪しを測るためだけに存在し、大学入試で学生を選抜するための道具とほとんどの人は思っていた。
その考えを変えたのが、コンピュータの出現である。二次方程式を入力するとすぐに目に見える形で曲線を描いたグラフになった。そのグラフを積分すると、壺のような立体が現れた。最大値と最小値が極端に離れた棒グラフにログ(対数)の式をいれると、棒グラフの上がり下がりが視覚的に纏まって見やすくなることがわかった。このようにコンピュータの出現によって趣味の極みと思われてきた高等数学が、視覚的、実用的で身近なものであることを発見した。「なるほどこの式は、具体的にはこうなるのか!」
米国でも日本でも戦後しばらくは、発明者や技術者が会社社長をしていた。だが、時代が下り会社の規模が大きくなるに従って経営に重点が置かれるようになった。1980、90年代頃の理想の社長というのは、技術より経営の才を持ち、外に対しては企業合併など他社との交渉ができ、内に対しては皆の意見を纏めることができるオールオーバーな知識を持った穏やかなジェネラリストが望まれた。つまり、社長はどちらかというと大使や外交官のような人が理想とされた。
アップル社は1976年二人のスティーブによって創業された。だが二人とも機械オタクで、会社を立派に大きくするために、1981年にペプシコーラからジョン・スカリーを引き抜いてCEOにした。「このまま一生、砂糖水を売り続ける気なのか?世界を変えるチャンスに賭けてみる気はないのか?」というジョブズの口説き文句は有名である。理想のCEOを据えたつもりのアップル社であったが、すぐにジョブズと対立しスカリーは逆にジョブズを会社から追い出した。ところがその後アップル社は業績を上げることができず、倒産寸前にまで追い込まれる。丁度そのタイミングでスティーブ・ジョブズは復帰、アップル社を立て直した。ジョブズは、復帰後しばらくしてCEOになり、CEO自ら作業服を着て新作発表をするという現在の形を作った。
ITの興隆と共にジョブズに続けと新しいリーダーがどんどん現れた。ビル・ゲーツ(マイクロソフト)、マーク・ザッカーバーグ(フェイスブック)、ジェフ・ベゾス(アマゾン)、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン(グーグル)等々。彼らは皆コンピュータを専門とする技術家であり、その道の天才だ。私は人生経験から、天才は二つの特徴を備えていると感じている。一つは、専門に関して跳び抜けた才能。もう一つは、良くも悪くも一般人の常識がないことだ。尋常でない発言、行動、奇行を持っている天才の多いこと。正に「天才とバカは紙一重」の例えの如くだ。
死んだ後のスティーブ・ジョブズは、ITの神様のように讃えられることが多い。だがスティーブの伝記を読まれたことがあればお分かりと思うが、現役の頃の彼はいつも部下と対立してきた。iPhoneの開発において、ジョブズは超小型化を開発者に命じた。開発者が「もうこれ以上小さくできない」と言ったことに対してiPhoneを水槽に沈めた。iPhoneがブクブクと泡をたてて沈んだのを見て、「ほらまだ空間があった」と言ったという逸話。ただしこの話はデマだという話もある。ただ、セクハラ、パワハラが日常的にあったと言われている彼ならやり兼ねないことと思われていたのでこのような噂が広まったのであろう。
現在世界一のお金持ちであるイーロン・マスクも天才逸話に事欠かない。まず彼は真剣に人類を火星に移住させる計画を立てている。現在行っているテスラ自動車やX(旧ツイッター)の事業はそのための資金集めなのだそうだ。火星移住の話を一般人が言うと、相手にされないか、バカにされるが、彼にはそう言わせない知力、財力、実行力があるだけに皆を黙らせている。でも、どう考えても彼はおかしいと思わないだろうか?
以上は極端な例であるが、天才でなくても多くのIT技術者に対して、どこか他の一般人と異なる印象を受けることはないだろうか? 「変人」の集まり、日本でも「おたく」という用語がぴったりの集団だ。コンピュータが一般化していなかった時代はただの変人、オタクで済まされていた人たちが、みんながコンピュータを使いだしたお蔭で、息を吹き込まれて、天才と呼ばれ、社長にまでなれる時代になった。